ねっとりとネット

むちむちのむちのち (炎上系でも非社会派でもない)妄想家 ニブンノイチニッカン

みんなが忘れてしまっても、ぼくだけは覚えておきたいこと。3

さて、
ヒトは誰しもひとりぼっちでちっさいんだけれども、それで生きていかなきゃいけないし、だからと言って生まれてきたことは間違ってはいない。

太田光が自ら語った「ネットでなくてテレビだからこそ伝えられること」~川崎20人殺傷事件について~(水島宏明) - Yahoo!ニュース

news.yahoo.co.jp

 

 

 

 2019年6月2日(日)のサンデージャポンで5月28日(火)川崎市登戸で起きた殺傷事件に対して爆笑問題太田光さんの言葉。

「まあ、一人で死ねっていう気持ちもまあ、それは要するに『甘えるな』ということだと思うんだけど、この犯人の場合は自分も死ぬわけじゃないですか。自分の命もたいして重く見てないというか、自分が思っているような自分じゃなかったんだと思うんだよ。それって『俺って生きていてもしょうがないな』と。だけど最後に一つ、そういう大きなことをする・・・。でも自分の・・・。これって誰しもが、特定の病気というわけではなくて、そういう思いにかられることは誰しもあって・・・」

 

「俺なんか、(犯人と)同じ50代ですけど、やっぱり高校生くらいのときに、あー、俺も何も感動できなくなったときがあったんですよ。物を食べても味もしない。そういうときにやっぱりこのまま死んでもいいんだっていうくらいまで行くんだけれども。そうなっちゃうと他人の命も・・・。自分がそうなら(死んでもいいとなるなら)他人の命も・・・。自分がそうなら、他人の命だって、そりゃあ、大切には思えないよね」

 

「たまたま美術館に行って、ピカソの絵を見たときになんか急に感動が戻ってきたの。何を見ても感動できなかったんだけど・・・。ピカソを理解できたってわけじゃないんだけど、そんときの俺は『ああ、こんな自由でいいんだ』と。『表現って・・・』」

 

「そこからいろいろなことに感動して、いろいろなものを好きになる。好きになるってことは結局、それに気づけた自分が好きになるってことで・・・。それっていうのは、人でも文学でも、映画でも、何でもいいんだと・・・。そういうことに心を動かされた自分って、捨てたもんじゃないなって思うの。生きている生物や人間たちの命もやっぱり、捨てたもんじゃないのだと」

 

テリー伊藤

「太田さんは自分一人で見つけることができた。彼(犯人)みたいな人はそれができなかった」

 

(太田)

「それが、つまり、俺は・・・そのすぐ近くにいると思うのは、ああいう彼のよう人がそこを今・・・いいや、そこを今、『自分って死んでもいい』と思っている人は、もうちょっと先にそれを見つける・・・。『すぐ近くにいるよ』ってことを知ってほしい、というか、そのきっかけさえあれば・・・と思うんだよね。すごい発見ができる。すごい近くにいると」

 

それではお先に(失礼します)。

ワイルドライフ「南太平洋 ニューギニア島 踊る南国の鳥たち 求愛術を競う」をみて。

さて、
鮮やかな羽根を身にまとい、僕たちは軽やかに踊らないといけないのかもしれない。

www4.nhk.or.jpニューギニア島では、さまざまな極楽鳥のオスたちが奇想天外な求愛術を発達させてきた。オオフウチョウは色鮮やかな飾り羽を身にまとい、激しい踊りを披露してメスにアピール。一方タンビカンザシフウチョウは、なぜか全身黒ずくめでバレリーナのように踊り、体の一部を輝かせる。また壮大なモニュメントを作り、メスの気を引こうとする鳥も。独特の求愛術を発達させてきた鳥たちの進化の謎に、動物写真家・嶋田忠さんが迫る。

 極楽鳥は楽園では暇だ。なぜなら、天敵がいないので身を守る手段を必要としないし、年中食べ物が豊富なので餌を手に入れるのに時間や体力を使わないからだ。一般的に生物は子孫を残すために「強い雄」がモテる。しかし、ニューギニア島では強い必要がなく雌はひとりで卵を温め子育てができるのだ。そうすると雄はだらだらとなまけるのではなく、雌にモテるために必死に努力をする。つまり、鮮やかな羽根の色、激しくトリッキーな踊り、小枝を集めて作る自分の体よりも何倍もの大きさのモニュメント。創造力を発揮し、必死に努力する雄がモテるのだ。

 ヒトもどんどん一応楽園に住めて暇になっていると思う。極楽鳥のように、自分の能力を最大限に発揮したいものだ。だけども求愛をしなくてもいいと思っているヒトはどこにモチベーション見いだせるのだろうか?そこが動物とヒトの違いなのかもしれない。


それではお先に~(失礼します)。

プラスチック製「人工子宮」でヒツジの赤ちゃんが正常に発育

さて、
ヒトがうまれるのにヒトが必要なくなるのかもしれない。

プラスチック製「人工子宮」でヒツジの赤ちゃんが正常に発育

www.newsweekjapan.jp<米フィラデルフィア小児病院の研究チームが、「子宮の仕組みを模倣した独自の人工子宮システム『バイオバッグ』の中で早産のヒツジを正常に発育させることができた」と発表した>

 よ、う、や、く

  1. 実験対象のヒツジ8
    妊娠23週から24週のヒトの胎児に相当する妊娠105日から120日の子ヒツジ
    正常に呼吸し、肺や脳なども順調に発達したことが認められた。
  2. バイオバッグ
    合成羊水で満たされたポリエチレン製の透明な密閉式の袋。人工子宮。
    胎児を臍帯(サイタン=へそのお)に通した管で外部の装置とつなげることができる。機械式ポンプを使わず、胎児の心拍だけで作動する。
    心臓を傷つけることなく、スムーズに血液を循環させることができる。
  3. 合成羊水
    継続的に交換しながら『バイオバッグ』の内部を満たす仕組みとなっている。
    栄養の供給・各器官の発達促進・感染症の予防などの役割を担っている。
    ヒツジの肺の発達はヒトと似ているといわれている。
  4. 研究チームの今後
    『バイオバッグ』のさらなる改良。
    妊娠23週から28週のヒトの早産児への応用に向けて研究。

 人口の合成羊水に羊が浸かっている。なぜ羊水はヒツジにミズなんだろうかとググってみる。かなりガッツリとヒツジから語源がある。ヒツジの肺の発達がヒトと似ている以上になにか意味があるような気がするのは深読み過ぎなんだけれども、それから現代アーティストのデミアン・ハーストの黒い羊が四角いガラスケースのなかでホルマリン漬けされている作品を思い出す。

 『バイオバック』はメリットだらけに見える。機械式ポンプを使用しないので早産児の肺や心臓に負担をかけることがない。循環不全を起こしたり、免疫力が弱いために感染症にかかるなど、子どもが慢性的に健康を損なうリスクも小さくないようだ。しかし、ヒトに使用することによるデメリット・リスクがきっと出てくる。もちろん身体的な問題もあるだろうし、いくら人工的に完璧につくれたとしても、母親のお腹の中とは確実に違うのではないか。母親と体を共にしお腹の中で心臓の音を聞くのと聞かないのでは、子供の脳や精神の発達にはどんな影響があるのだろうか?それにやはり問題なのは倫理面で大きな壁に生じでしまう。実験段階でも子ザルを使う時点で問題が生じるだろうし。ヒトともなると一体いつ『バイオパック』に入れて、いつそこから出すのだろうか?

 このようなヒトの生死に関わる研究がぼくの遠くで行われていると、ヒトは確実に発展して進化しているような気になる。うまれると云うことは死から逃れられなくなるのだ。

 

それではお先に~(失礼します)。

 

『西洋絵画のひみつ 藤原えみり 著/いとう瞳 イラスト』を読んで。

さて、
美術のお勉強です。

 『西洋絵画のひみつ 藤原えみり 著/いとう瞳 イラスト』
を読みました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4255005133/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_4Fn8CbQ15SQTQ

amazonのページを貼ってみたけど、みんな上手く開けるのだろうか?ぼくだけが開けてるんじゃないよね・・・)

この本では西洋絵画について4つのひみつが解き明かされています。

キリスト教美術は、聖書の「さし絵」だった!

「日常」が描かれるまで、長い時間が必要だった!

3なぜ、ヌードなの?

4むかしといまでちがう絵画の「つくる」「売る」「飾る」

  旧約聖書の時代から印象派の時代・約4000年の流れをざっくり、でも丁寧に解説!特に宗教画の解説に関しては苦手な人、是非とも知識を付けたい人にはおすすめですよ。もちろん、この一冊が西洋絵画のひみつを全て網羅しているわけではないし、これさえ読んでればOKと云った本ではない。そもそも西洋絵画に関われずそんなに最強な本は存在しないですが。

「P70~聖堂から絵画や彫刻が消えた」の章がおもしろかったです。

よ、う、や、く

  • 16世紀後半。
  • 聖堂は農民や庶民などの貧しい人にとって、この世に存在した「神の国」だった。
  • 絵画や彫刻は礼拝の対象だった。
    →しかしプロテスタントにとってそれは「偶像崇拝」と受け取られた。
    →時には暴徒化した民衆によって絵画や彫刻が破壊された。
    →聖堂から絵画や彫刻が消えた
  • 7~8世紀の「イコノクラスム(聖像破壊運動)」と同じことが繰り返された。
  • 偶像崇拝
    旧約聖書モーセの第二戒で禁止されている。「あなたはいかなる像も造ってはならない。上には天あり、下には地あり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(「出エジプト記」より)
  • 聖像論点の焦点:
    「神、神の子キリスト、聖母マリアは、ヒトと同じ物質的な肉体を持つ存在ではないでしょ?だったら、その姿を人が表現することはできなくない?」
  • プロテスタント(新教徒):
    16世紀宗教改革後、ローマカトリック教会に対立してできたキリスト教の新しい教派。

 自分たちが偶像崇拝を禁止していたとしても、他人が神として大切にしているものを破壊する必要があるのだろうか?しかも、それが自分たちの想像する神の姿をしているのにも関わらず。プロテスタントのヒトたちはどんな気持ちで聖母マリアの像を壊していたのだろうか?日本にいると基本的には宗教やその問題に触れることはほとんどない。歴史の中では全く同じ問題が繰り返されているので宗教の問題は根が深いんだなぁと思う。だからと云ってなにもできないわけではない。歴史を勉強することもひとつの方法ではあるし、ヒトは誰しも宗教を信じていなくてもそれぞれに信じていることがある。そのことで他人ともめるのではなく普段から思考し、受け入れられるような余裕が必要となんじゃないかなぁと思う。

 
それではお先に(失礼します)。

みんなが忘れてしまっても、ぼくだけは覚えておきたいこと。2

さて、
生きるのは単純なことなのに、複雑にしているのは自分自身なのだ。


 生きていると「ふと」した瞬間にひらめいたように頭の上に電球がピカンと現れたかと思うとショートしてしまってパリンと割れてしまうような衝撃が体を走り抜ける時がある。今回の言葉はテレビをザッピングしている時に字幕を目にした言葉。

「私たちは〇〇〇〇の伝統を守らなければなりません。なぜなら〇〇〇〇は私たちが生まれた場所だからです。」

www.nhk-ondemand.jp

 番組を見てなかったので「〇〇〇〇」に入る地名を覚えていないし、その言葉を発したのは15歳にならないくらいの少女で名前もわからない。おそらく上サムネイルの頭に黄金の豪華な冠のようなものを乗せ、赤い民族衣装に身を包んでいる彼女だと思う。「インドネシアイスラムと島の伝統が融合した祭りで輝く少女」であることが番組説明文でわかる。彼女の言葉は窮屈だとも思ったし、羨ましくも思った。

 ほとんどの日本人は守らなければいけない伝統は持っていない。ぼくだってそうだ。伝統を守ることはその土地に暮らさなくてはならない。そのことが窮屈であると思わせた。好きなところで好きに暮らせたほうが良いのではないかと。しかしその土地を愛し、伝統を引き継ぐことで自分自身が文化的にその土地に溶け込んで一部になる。土着精神はぼくらが失ってしまったもので羨ましかった。それだけでなく、伝統を引き継ぐ理由は簡単で「自分が生まれた場所」だからだ。それ以上に深い理由はない。そんなふうに生きることは単純なのだとも感じた。日本の生きずらさの根本的な理由が見えたような気がした。

 

それではお先に(失礼します)!!

白い野生のパンダを初撮影

さて、
白黒でなくなったらパンダを可愛がれるのか?

 

this.kiji.is

  • 四川省臥竜の自然保護区管理局。
  • 保護区内に設置されているカメラが白いジャイアントパンダを撮影。
  • 白い野生のパンダが撮影されたのは初。
  • 標高2千メートル前後の山中。
  • 4月中旬。
  • 目は赤っぽく、推定年齢は12歳。
  • 遺伝子上の異常が原因で白化?
  • 野生動物としての活動には大きな影響はないとのこと。

 撮影されて写真をみるとパンダのフォルムではあるが顔はツキノワグマに似ている。白いからと言ってホッキョクグマには見えない。見たことがない動物のように感じるし、なんだかリアリティがなく剥製のように見える。通常のパンダの毛のようにふんわりとした空気感がないからだろうか?

 アルビノの個体は珍しいことと見て目の美しらから貴重な存在として白蛇やホワイトタイガーは扱われるけれど、そもそもモノクロのパンダの場合だと未完成に見えてしまう(誰が作ったわけでもないけど)。真っ白なシマウマはただのホワイトホースのように。

 

それではお先に~(失礼します)。

遺言に従って健康なイヌを安楽死

さて、

故人との関係は個人的だ。

www.cnn.co.jp

よ、う、や、く

  • バージニア州
  • 故人の遺言に従って、飼い犬が安楽死させられた。
  • 遺言の内容:自分が死んだら愛犬を一緒に埋葬して欲しい。
  • 飼い主とペットを一緒に埋葬することが認められるかどうかは、州によって異なる。
  • バージニア州では2014年に合法化。人とペットの合同埋葬区画を設けることが可能。(合同埋葬区画は明示が義務付けられ、同じ空間に人とペットを埋葬することは認められていない。)

 結局のところ飼い主だった故人と飼い犬エマを同じお墓に入ったの分からない。バージニア州ではどうやら無理なようだけどアメリカのどこかの州ではその遺言は実行できそうではある。ヒトとイヌが同じお墓に入れたら故人の希望が叶い、遺言執行人が仕事を果たしただけのことだ。この事実が面白いのは「死後のこだわり」「遺言の効力」「動物の安楽死」などの複数の要因があることだ。

 ぼくは死んだら現世においては自分は「無」でこだわっても仕方がないと考えているので「死んだ後、誰かと一緒にお墓に入れて欲しい」とは思わない。家族の好意でやってくれのは全く構わない。

 遺言にどれほどまでの効力があるのか?日本では良く遺産相続で揉めることがあるようだけれども、必ず実行されなければいけないものなのだろうか?ぼくの祖父は遺言を書いているのだろうか?そもそもぼくだっていつ死ぬかわからないのだけれども、死んだヒトの何人が遺書を書いているのだろうか?

 動物の安楽死には倫理的な問題が常につきまとうが、今回の場合健康なイヌであったようだ。これは明らかに問題ではあるんだけれども、どこの国でもノライヌ、ノラネコ、引き取り手のない動物は安楽死されているのだ。

故人は本当に飼い犬エマの安楽死を望んでいたのだろうか?今となってはわからない。遺言に安楽死される指示があったのかもしれない。故人の願いは「飼い犬のエマが死んだら私と一緒に埋葬して欲しい」と云うことだったのではないか?結果的には一緒の墓に入れてくれと。

 

それではお先に~。(失礼します!)